2025年夏です。この夏でいえば、個人的にはファイナル・レコニング・・ミッションインポッシブルのトム・クルーズ(とその走り)が予想を超えてよかった−ということはあるのですが、気になるのはトランプ関税でしょうか(超飛躍)。
トランプ関税の威力は台風の通過のように衰え後退していくのかどうか。そんなに単純ではないかもしれません。
70年ほど前、当時のアメリカにおける大衆社会の問題状況を批判的に分析した著書に次のような一節があります。
「いかなる保守主義的イデオロギーをも持たぬ保守的な国家であるアメリカは、今や、むき出しの、恣意的な権力として、全世界の前に立ち現われている。その政策決定者たちは、現実主義の名において、世界の現実について気狂いじみた定義を下し、それを押しつけている。」(ライトミルズ「パワーエリート」(下)東京大学出版会1958)。
現在と時代背景は異なりますが、「政策決定者たち」という指導者層や有力者たちといった複数形は、今や最上位の権力者といってよい地位にある限られた人物が大衆の一部を取り込んで少数ないし単数化をしていき、現実主義はビジネス的な交渉や取引(ディール)としての意味に置き換えられていき、イデオロギーや理念の基盤や支えを借りようともせず、もはやむき出しの権力として全世界に立ち現われつつあるようです。
それを現代のリーダーシップのあり方として受け入れる側とそうとは受け入れられないとする側、後者は換言すれば押し付けられる側といってよいかもしれません。この分断の行く末に待っている世界はどのような世界なのでしょう。上記著書には次の一節が続きます。「精神的能力においては第二級の人物が支配的地位を占め、凡庸なことを重々しくしゃべっている」と。関税かける、対抗すれば対抗措置の分を上乗せするとは言葉としても交渉としてもそれこそ凡庸ではありますが、その凡庸さにかかわらず受け入れ側があながち無視できないという背景、換言すれば脅威の裏付けにあるのは何か、昔も今もそれはあまり変わらないものなのかもしれません。
2025/07/14(Mon) 19:09:32
2021暑い夏、先週から2020東京オリンピックがいよいよ始まりました。
1年先伸ばしからの無観客試合、異例ずくめのオリンピックです。
今夜は卓球の混合ダブルスで水谷・伊藤ペアが中国ペアに打ち勝ち、日本卓球初の金メダルとなりました。試合は1セット11点、4セット先取した方が勝者になるわけですが、1、2セットを中国ペアが比較的楽に勝っており、素人の私から見ても、水谷・伊藤ペアは攻守ともいささか単調になってミスもあり相手に得点を許していたような印象を受けました。しかし、その後挽回し、互いに3セットずつ取得しフルセットの末、最終の7セット目を水谷・伊藤ペアが勝ち切りました。2年前に結成した年齢差のある同郷ペア、最終セットは2人のそれぞれの個性があふれるプレーがばっちりかみ合っていました。
最終セットは8−0まで水谷・伊藤ペアが先行。6点目の水谷選手の振りぬいた思い切りのあるフォアハンド、7点目の伊藤選手のフォア側に回り込んでからのバックハンドから相手のフォア側への目の覚めるようなストレートの払い。8点目はラリー中の緩急をつけたストップ気味のプロック…攻守にわたる多彩なプレーが続き、迷いのないプレーは圧巻で、手がつけられない強さでしたね。
水谷選手の卓球に思い切りが出てくると、伊藤選手が感化されて自分のプレーを取り戻した感じだったでしょうか。今大会では準決勝まで、水谷選手がつなぎ、伊藤選手が決めるというプレースタイルと評論され評価されてきたわけですが、プレースタイルの功罪で、スタイルは強みになる個性としてよい面もあれば、そのスタイルを周りが押し付け気味になりプレイヤーも自ら縛られてしまい実力が出し切れなくなるという怖さと裏腹の隣り合わせだと思います。しかし、水谷・伊藤ペアは中国ペアという力のある相手との決勝戦という土壇場で、しかも決勝戦のゲームの途中から、スタイルを超えて深化&進化したように見えました。2人の練習と努力あってこそですが、混合ダブルスの妙もあったのかもしれません。
さて、試合で中国ペアも2点挽回し8−2としましたが、中国ペアの得点はどちらかというともはや日本ペアのミスによる得点のようにも見えました。その後は試合の流れが変わることもなく、伊藤の逆チキータからの10点目で勝利を確信した皆さんも多かったのではないかと思います。ただ、卓球界を席巻する王者中国。試合後の態度は決してふてくされたものではなく淡々と節度ある態度で立派でした。明日からシングル戦、団体戦も始まります。中国はそれこそ血眼で残りの全勝を目指すでしょう。
ともあれ、水谷・伊藤ペア今夜は笑顔の金メダル、日本卓球界の歴史的快挙となる金メダルでした。おめでとうございます。
2021/07/26(Mon) 23:33:23
お盆休みをいただいています。リオ・オリンピックの真っ最中ですね。
今日は卓球の水谷選手が3位決定戦を勝ち切り,見事に銅メダルを獲得しました。準決勝で中国の選手に敗れはしたのですが,この準決勝の戦いで水谷選手は大きく開花というか進化したのではないかと,素人ながら中高時代の卓球経験者として感じていました。強い敵に挑むことで,挑んだからこそ,持っている力が大きく開花するということがあるということを,改めて認識できた思いがしました。
さて,話は変わりますが,当事務所では,今年,これまでの事務所スペースのほか,隣室(103室)を大家さんにお願いして借り増しする形で拡張させていただきました。これまで,事務所のスペースがいささか手狭になりつつあり,何人かで打合せや相談などに来られた方々には,しばしば窮屈な思いをさせてしまうなど,心苦しく,ご負担をおかけしていたのですが,従前に比べてひとまずは改善できたように思われます。
このように事務所の拡張を皆様にご報告申し上げることができたことを機に,私個人としても事務所一同としても,これまで以上に,人と社会に少しでも役に立てるよう,皆様への感謝を忘れずに,更に職務に専心してまいります。
と更に話は変わりますが,“さあ,がんばろうぜ! オマエは今日もどこかで不器用にこの日々ときっと戦ってることだろう”というのは,「俺たちの明日」という歌(歌詞)の一節です。中高年の歌のようではありますが,世代を超えて若者にもファンが少なくないようです。特に現代の若者は年齢のわりに苦労しています。昔のように何も考えず突き進めばよいという時代状況にないことも影響しているかもしれませんね。
この歌詞について,何十年も生きて来ればもう“頑張る”という言葉しかないという気持ちが込めた詩だと紹介するサイトがあります。なるほどよくわかる気がします。ただ,勝手な解釈を加えさせていただくとすれば,これまで頑張ったことがあり,苦しくもがき続けた日々があるからこそ,何十年か生きたここに来て,改めて“頑張る”という言葉が出てくることもあるのではないでしょうか。身体も衰えを覚えて久しく,いつまでも若かりし昔のままではありません。けれど,まだまだ振り返るには早く,一息つくことがあったとしても,うかつに振り返りでもしようものなら足が止まってその場から動けなくなってしまいそうな思いの中,前を向いて足を上げないと…。そういう意味で,“頑張る”という言葉しかないのかもしれません。
なんだか中高年の嘆きのように見えたらごめんなさいですが,お盆休みにひとまず一息だけはつかせていただきなから,未来に向かって,不器用に,そして,
さあ,がんばろうぜ!
2016/08/12(Fri) 18:39:41
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