お盆休みをいただいています。リオ・オリンピックの真っ最中ですね。
今日は卓球の水谷選手が3位決定戦を勝ち切り,見事に銅メダルを獲得しました。準決勝で中国の選手に敗れはしたのですが,この準決勝の戦いで水谷選手は大きく開花というか進化したのではないかと,素人ながら中高時代の卓球経験者として感じていました。強い敵に挑むことで,挑んだからこそ,持っている力が大きく開花するということがあるということを,改めて認識できた思いがしました。
さて,話は変わりますが,当事務所では,今年,これまでの事務所スペースのほか,隣室(103室)を大家さんにお願いして借り増しする形で拡張させていただきました。これまで,事務所のスペースがいささか手狭になりつつあり,何人かで打合せや相談などに来られた方々には,しばしば窮屈な思いをさせてしまうなど,心苦しく,ご負担をおかけしていたのですが,従前に比べてひとまずは改善できたように思われます。
このように事務所の拡張を皆様にご報告申し上げることができたことを機に,私個人としても事務所一同としても,これまで以上に,人と社会に少しでも役に立てるよう,皆様への感謝を忘れずに,更に職務に専心してまいります。
と更に話は変わりますが,“さあ,がんばろうぜ! オマエは今日もどこかで不器用にこの日々ときっと戦ってることだろう”というのは,「俺たちの明日」という歌(歌詞)の一節です。中高年の歌のようではありますが,世代を超えて若者にもファンが少なくないようです。特に現代の若者は年齢のわりに苦労しています。昔のように何も考えず突き進めばよいという時代状況にないことも影響しているかもしれませんね。
この歌詞について,何十年も生きて来ればもう“頑張る”という言葉しかないという気持ちが込めた詩だと紹介するサイトがあります。なるほどよくわかる気がします。ただ,勝手な解釈を加えさせていただくとすれば,これまで頑張ったことがあり,苦しくもがき続けた日々があるからこそ,何十年か生きたここに来て,改めて“頑張る”という言葉が出てくることもあるのではないでしょうか。身体も衰えを覚えて久しく,いつまでも若かりし昔のままではありません。けれど,まだまだ振り返るには早く,一息つくことがあったとしても,うかつに振り返りでもしようものなら足が止まってその場から動けなくなってしまいそうな思いの中,前を向いて足を上げないと…。そういう意味で,“頑張る”という言葉しかないのかもしれません。
なんだか中高年の嘆きのように見えたらごめんなさいですが,お盆休みにひとまず一息だけはつかせていただきなから,未来に向かって,不器用に,そして,
さあ,がんばろうぜ!