+弁護士便り+

中学生と社会体験

今の中学生のカリキュラムには「社会体験」が組み込まれているようです。というわけで,先日,中学生が当事務所にやってきました。司法修習生や法科大学院生を受け入れてはきましたが,中学生は初めてのことです。
 引き受ける側では何ができるかと考えます。彼らが普段の生活ではなかなか味わえないことをとか,いろいろ考えます。短い期間ではありましたが,普段目にすることのない光景や場面で,また普段交わることのない大人の中で,彼らのまなざしには何がどう映り,感じたのか,結論を急かすことなく,彼らの成長を見守りたいと思いました。
「感染動機」は知識を血肉化させる
宮台真司(14歳からの社会学)を読みながら,私として及ばずながら微力ながらも,何か彼らの内発性に刺激を与えたい,学校のテストで慣れた正解・不正解という思考とは違った何かを与えたい,そんな気持ちで彼らに接する機会になりました。
彼らとの対話は新鮮で驚きや感動があり,勉強になったのは私の方でした。こちらが何かを教えるとか,正解が何かを伝えることは極力避けながら,対話を楽しみました。
最も遠い未来を,あなたの今日の原因としなければならぬ
好きな言葉や大切にしている言葉を教えてくださいと,彼らの質問を受けて応えました。そのまま彼らに送った言葉です。「遠い未来が今日の原因になるって,何か不思議な感じがしない?」「意味はすぐにわからなくていいから,少し考えてみてね。」と添えました。ニーチェという人の言葉なんだということだけは伝えました。それ以上に説明はしませんでした。そう,ツァラトゥストラです。私は,若き彼らに,超人と遠人愛をひそかに伝えるというたくらみに及んだことになります。
「我輩は猫である」の中に「一大巨漢がぬっと立ち上がった。・・・浴場全体がこの男一人になったと思われる程である。超人だ。」という表現があります。映画テルマエロマエでの中で銭湯でお湯の中からザバッと立ち上がった阿部寛のシーン(平たい顔族に囲まれるシーン)を私はどうしても思い出してしまうのですが(映画製作者の意図は違うと思います,念のため。),漱石が超人の意味を理解していないはずがなく,かえっておもしろいと思う箇所です。もちろん,彼らにフィジカル的にそうなってもらいたいと考えたわけではありません。この段落は,寄り道というか,脱線がすぎましたね・・・。
さて,「社会体験」の期間中,法教育センターの中嶋先生,公証人の先生,また関係する事務局の皆様には,本当に親切に,そして温かく見守っていただきました。彼らにとってことのほか貴重な体験となりました。この場を借りて心から御礼申し上げます。
「社会体験」を無事に終え,彼らからお礼の手紙をもらいました。一生懸命書いてくれたんだなと,丁寧に時間をかけて書いたであろう文字を見ただけで,それはすぐに理解できました。これからは彼らとの心の交流とあの時の笑顔が私の大きな支えになりそうです。彼らが無事故で大きく成長していかれることを心から祈りつつ。

2013/06/04(Tue) 14:44:59 

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