+弁護士便り+

倫理という問題

2012年を迎え,季節は3月となりました。卒業,進学の便りも聞こえてくる季節です。当事務所一同,各人が一層精進し,職務に専念する中で,チームとしての力を結集し,皆様の期待にお応えしてまいります。

さて,昨年の3.11東日本大震災から間もなく1年になろうとしています。昨日の3月4日,津波の被害を受けた石巻市の大川小学校で一周忌法要が営まれたとの報道がありました。同小学校では全校児童の約7割が死亡・行方不明(70人死亡,4人行方不明)となっています。誰もが想像していなかった惨事となりました。子どもたちがどれほど怖い思いをし,水や土砂に揉まれ,吸い込み,どんなに苦しい思いで亡くなったか,幼い命と未来とが成す術もなく奪われた痛ましさ,子を失った家族・遺族の悲痛は,私たち(東京にあって震災による身命に及ぶ打撃を免れた私たち)に,圧倒してあまりある過酷な現実として迫ります。軽々に表現できることではありません。
亡くなった子どもたち,当の家族・遺族という,あえていえばそのような「他者」の存在は,特にそれが報道などで顔,姿,言葉をもって映像として立ち上がるとき,私たちに何を呼び覚まし,もたらすのでしょうか。そこには,「他者」を目の当たりにした私たちの直観的な心情に加え,少なくとも「他者」に対する私たちの責任という「倫理」の問題(他者のためにどのように自分が生きるのかという問題)を提起することになります(「他者」との倫理的な関わりを考えた先哲のひとりがエマニュエル・レヴィナスでした。彼自身,第二次大戦中,ドイツの捕虜となり,後に家族・親族の多くがユダヤ人大量虐殺の犠牲になったことを目の当たりにするという当事者としての過酷な体験を持ちます。)。単に歴史的な出来事とか,災害対策のための用材に消化しきることがないよう,心がけたいと願うものです。

また,東日本大震災に関しては,東電原発事故による放射線被害という問題があります。私も,書店に並んでいる「プロメテウスの罠」朝日新聞特別報道部著を改めて手に取った1人です。放射線被害が深刻化していく経過に何があったのか,ある程度時間を経ることでようやく姿を現す事実や経過もあるかと思います。そのような事実や経過も,単に,歴史化するのでなく,また政治的討論や批評の素材だけにとどめることなく,今後も注意して見ていきたいと思います。それは,おそらく世代間倫理(今の世代の人間には未来の人間に対する義務があるかという問題。現代倫理の1課題であることは,従前から論じられています。),とりわけ放射線被害という資源・環境に関わる問題としての世代間倫理に連関しています。
ちなみに,世代間倫理という点は,その意味を多少敷衍することになりますが,例えば,昨年来のギリシャ危機(国として債務が正常に支払できないデフォルト状態にあると評価されています。)に伴う社会・経済の混乱が,若年世代に新たな貧困層≠生み,すさまじい失業率につながっているという報道などを見ていて,私の中で思い起こさずにはいられない問題のひとつでした。現在の閉塞的な国内の情勢に目を転じても,今後,様々な局面で,議論され得る観点のひとつだと思います。

少々長くなりました。最後になりますが,倫理の問題は,いずれも個人の自由な志向的課題というのが本質だと思います。しかし,自己・他者という文脈は,自己が,他者から見れば,他者に転じ,つまり利用対象となり得るという面があります。個人の自由に本質を持つ倫理という問題を政治利用しようとか統制的に使おうという人たちが目立つことのない日本であり社会であってほしいですね。

2012/03/05(Mon) 17:25:30 

新メンバーを迎えました

さて,2011年がスタートしています。

事務所に昨年末より新メンバーとして嶋崎義久(しまざきよしひさ)弁護士が加わりました。力あふれる若き青年です。
Festina lente≠ニいう言葉があります。ラテン語なのだそうですが,直訳すると急ぎなさい/ゆっくりと≠ニいう意味になります。これから弁護士としてスタートしていくわけですが,背伸びしたり,焦ったりする必要はありません。しかし,決して無為に時を過ごすことなく,人と社会に有意な役割を果たしていくとの気持ちの確かさは大事だと思います。

今後,当事務所の先輩にあたる小西麻美弁護士,事務局一同と力を合わせ,職務に専心してくれることと期待しています。

私自身も改めて初心を思い起こし,新人に負けない気概で一層の精進を期してまいります。
皆様には,本年1年よろしくお願いいたします。

2011/01/08(Sat) 17:57:48 

Best Effort

新年を迎え,皆様のご多幸を心よりお祈り申し上げます。

さて,昨年読んだインターネット関係の本に「ベストエフォート」という印象深い言葉がありました。エフォート(Effort)は努力という意味ですから,訳せば「できる限りの努力」とか「最善の努力」ということになります。

インターネットは私たちの現在の日常にとってすでに欠かせない存在です。それだけ普及・定着し,システムとして(相応の?一応の?安定性があるものとして)信頼を得ているといってよいと思います。
しかし,当初インターネットが使われ始めた頃は決してそうではありませんでした。「ベストエフォート」というのは,インターネットそのものが途切れてしまわないように維持する,つまりデータの通信やサービス自体がストップしないことを重視して,たとえ不完全な状態であっても(技術的に不足があってデータの一部が欠けてしまったとか遅すぎるなどの支障や困難が生じたとしても),ともかく止めてしまわずに送り続けてみる,できる限りの努力をするという考え方をいうのだそうです。もしも完全・完璧なものになるまで世に出さないし使わないというような発想で臨んでいたら,現在のようなインターネットの進歩と普及はなかったのかもしれません。

もちろん物事によっては止める勇気や英断が必要なこともあります。しかし,ともかく継続してみる,不完全であれば完全に近づく努力を続け最善を尽くしてみるという発想が必要な場合もあるということだと思います。
新年ですから,特に新しいことにチャレンジする際に心がけてみる価値があるように思います。

身近なこと,たとえば趣味やスポーツ,日々の健康管理,仕事上の課題の克服や新しい知見を得るための研鑽・勉強などについてはもちろんですが,もしかしたら裁判員制度に象徴されるような司法改革というような社会的システムの獲得などについても,当てはまるところがあるかもしれません。

ところで,「ベストエフォート」という言葉には,反面,責任逃れのようなニュアンスで用いられることもあるようですが(できる限りやってみますが,ダメでも責任はとりません≠ニいうような意味),自分だけのことならいざしらず,きちんと身に付けて他人のために役立てる覚悟をもってするならば,主観的な(甘い)努力に終わらせてはならないですね。私自身はといえば,今年はしっかり勉強し習得したい分野が幾つかありますので仕事に還元できるように頑張るつもりでいます(ちなみに「禁煙」だけはどうも努力する対象から外れてしまいます。ベストな努力でなく単なる努力的な感じの気分程度か=あらかじめ弁解)。

2011/01/01(Sat) 14:35:27 

20周年を迎えた仲間

先週末に司法研修所卒業20周年の集まりが京都でありました。

わかりやすくいうと,司法試験に合格した後,同期合格のメンバーが司法研修所で修習をするわけです(司法研修所を無事に卒業すると,それぞれ裁判官・検察官・弁護士になります。)。卒業20周年を迎えて集った同窓会のようなものですね。受付でもらった「8組 外立憲和」というネームプレートが気恥ずかしくもあり,同窓会ムードを演出します。
同時期に修習生活を共にしながら,普段は会う機会の少ない裁判官・検察官,そして地方で仕事をしている同期メンバーと,久しぶりに会うことができました。食事をし,お酒を飲み,昔話がはずんで・・・1時間・2時間と時間が経つごとに修習時代の顔つきに戻ってく気がするのが不思議です。

また頑張ろう−って気になります。こういうのは本当に理屈じゃないですね。みんな忙しい中集まるわけですが,そういう気持ちになることを期待して集まっているところもあると思います。同期の仲間と修習時代の教官に心から感謝,改めて感謝です。
深夜バスで翌早朝には東京に戻ってきました。ハードな帰京となりました。それでもみんなに会えてよかった。

2010/08/27(Fri) 03:14:35 

いよいよ2010年

2010年を迎えています。本年も事務所一同,元気に頑張ってまいります。

中国の古い言葉に,「学びて然る後に足らざるを知り,教えて然る後に困(くる)しむを知る」(礼記)というのがあります。
学んでみて自分がいかに知らないかということを知り,また人に教えてみて更に未熟さを思い知るといった意味になります。

まだまだ人に教えるといった立場にはないのですが,一昨年から事務所に司法修習生を実務修習として受け入れたり,昨年から大学の法学部で企業法演習という課目で学生に会社法を教える機会を得ました。みずみずしい求道の姿勢の大切さを改めて認識し,見習おうと思いましたし,人に物事を教えようとするのであればまずは自らが時間と労力をみっちりかけて勉強し準備しなければ有意な役割を果たせないということも改めて実感しました。
「学ぶ」というのは,学問という意味に限定されるべきものではなく,本年,改めて業務に専心し,弁護士として,人と社会のために有意な働きができるよう決意してまいります。「困(くる)しむを知る」後に,それが再び次の責任ある「学び」に繋げていけるように。

2010/01/03(Sun) 17:39:29 

巣立ちゆく濱門弁護士に期待

あっという間に12月…ということですね。。
さて,この12月に,これまで勤務弁護士として業務にあたってきた濱門俊也弁護士がいよいよ独立を果たし,当事務所を巣立っていくことになりました。
彼は,弁護士1年生として当事務所に入所して以来まる3年,さまざまな事件に熱心に取り組んできました。もとより,私自身が未熟ですので,どれだけの経験・技術を彼に伝え,指導することができたか,はなはだ心もとないかぎりではありますが,人を護るという熱情の深さと,結果責任を果たすべき職責の重さを忘れることなく,そして常々勉強を怠らず,新天地で大いに活躍されんことを期待してやみません。
私も改めて弁護士としての初心に立ち返り,日々の職務に全力で取り組んでまいりたいと決意しています。

2009/12/10(Thu) 02:30:15 

新年の抱負と自分の中のうし

新しい年を迎えております。
当事務所としては,平成16年4月の新設後,今春には5年が過ぎ,6年目に入ることになります。私個人としても,早いもので,弁護士として19年目に入ります。

今年は,改めて初心を忘れず,忙しい中にも,精神性を高め,深めていけるよう,努力を怠らない年にしていきたいと決意しています。もちろん,時間を見つけて精神修行のために山にこもるというようなことを考えているわけではありません。日々の仕事を通じて改めて多くを「学ぶ」1年にということを考えています。
特に昨年来からの不景気を反映して,今後難しい事件も多く予想されます。こういう時こそ,根気強く事件に取り組み,法的知識の研鑽はもちろんのこと,人の気持ち,人の弱さと強さを,改めて理解し「学ぶ」という気持ちをもって,仕事に打ち込む時だと思います。

ところで,今年は牛(丑)どしですね。いまどきでいう“深イイ話”というわけではありませんが,牛は人と古くから生活の中で関わりがあるからか,牛にまつわる故事・ことわざや譬え・教えは多いようです。次の2つはいずれも私の今年の決意の一端です。
・公明儀の琴は,弁護士にとって,日々の事件の中でおそらく既に絶えず弾かれているのだと思います。物事に無関係無関心を決め込み愚鈍に陥ることがなきよう,敏感に吸収し学ぶ自分でありたいと思います。
・市(まち)に入って…にはほど遠く,牧牛・得牛はおろか,まだまだ見牛にようやく至らんとする未熟者ですが,あるべき弁護士像を違和感なく確たるものとできるよう,牛が消えるようになるまで,生涯精進し続ける自分でありたいと心がけてまいります。

多くの人が生活に不安を抱えながらのスタートとなった新年ですが,当事務所一同,精一杯職務に専心してまいります。本年もよろしくお願い申し上げます。

2009/01/06(Tue) 02:01:36 

トウモロコシは食べられましたが・・・

正月以来のご無沙汰です。苦笑いです。忙しく元気に頑張っている証拠なのでご容赦ください。

「経済なお正月」は「経済な1年」になってしまいました。サブプライム問題以降,9月15日には証券大手リーマンブラザーズが破綻し,いまや連日「金融危機」が報道され,「世界恐慌」などという私の世代では歴史の世界のお話・・・ですらしばしば取り上げられる事態です。

あくまで比較の問題ですが,現在は,大幅な株安・円高ですね。日経平均は既に1万円を割り込み7000円代であり,円は1ドル90円前半代に及びました。年初の原油は値が下がってきましたが生産量を調整されそうですね。経済全体が年末から新年に向けてどうなるのだろうと,まだ経済に関心を持ち続けている昨今です。

「外国人投資家」という言葉を聞いたことがある方は多いと思います。その概念は,捉え方にもよると思いますが,伝統的な機関投資家のみならず,ヘッジファンドや特に2000年代特に03年以降に新興投資家として注目されるようになった投資ファンドなども含めて考えることができます。03年に日米欧が揃って金融緩和策をとり世界的なお金のだぶつきが投機マネーを生むことにつながったとも言われています。
日米の株式市況を振り返ると,04年に米国で4年ぶりに政策金利の引上げがあり,一時的なもみあいはあったものの,その後も近年07年まで日米の株価(NYダウ・日経平均)は比較的堅調に上昇傾向が見られました。
しかし,多少の皮肉を込めていえば,この上昇傾向も結局は,外国人投資家の動向,特に投機マネーのおかげ?・・・ということだったようです。これも一種のバブル?投機マネーバブル?というのはいいすぎかもしれませんが,最近の日米の株価の乱高下を見ると,NYダウ・日経平均に連動傾向が年や月などという単位ではなく,日に近い単位で連動していることが読み取れます。私自身,米国経済の失速が,輸出を中心とする日本企業にとっても先行きを不透明にし,日米連動して株価が下落するのかなという認識もありました。しかし,個々の動きがあまりにスピーディに連動し,しかも昨今急激に円高(ドル安)に振れていることを見ていると,要するに投機マネーが今までの資金を米国から引き払って(引き上げて)ドル離れをし,しかも円買いに流入しながらも今のところ日本株に資金を投入していない(前回新年のホームページで懸念した円キャリートレードの巻き戻しによる円高加速の懸念が顕在化しているように見えます)だけ,のようにも見えてきます。そうすると,日経平均のここ数年の好況感ですら,実は企業の実績や好況というよりは,外国人投資家の動向による(だけの)ものだったのかとすら思えてきます。現に,外国人投資家による日本株の買い越し・売り越し(買った実績=買い込んだ実績と売った実績=手放した実績のどちらが多いか)によって株価が明らかに左右されている実情もあるようです(買い越しが多ければ株価が上がり,売り越しが多ければ株価が下がる)。投機マネーといわれるお金のうち,高いレバレッジのかかった資金の割合がどのくらいあったのかというデータは持ち合わせていませんが,その割合が大きければ大きいほど,見せかけの好況でしかなかったということになります。
前回新年のホームページで,「米国の景気の先行き不透明感からドル離れによってドル安を招いたことから相対的に円高になっている傾向が見られる」とか「カップヌードルを以前よりお金を出して買わなければならなくなったのは,米国経済の失速と投機マネーの行方が連動的な影響を私たちの家計に及ぼした結果」とか「現状では主に米国経済からの影響を通じてですが,日本の実体経済そして私たちの家計に具体的な影響を確実に及ぼしてきていることが目に見えて実感できるような時代になっている」などと素人なりに書かせていただきました。決して的外れな話ではなかったようですが,どうやら投機マネーの影響がより鮮明に見えてきている気がします。原油高の緩和にしても,経済の失速による原油需要の低下という以上に,要するに投機マネーが原油市場から引き上げられただけと見ることもできるのではないでしょうか。

今年9月のリーマンブラザーズ破綻後,10月に入り,欧米各国が銀行への公的資金注入に動きました,というより,動かされました。市場の反乱や市場の圧力に突き動かされた格好ですが,市場というよりは要するに重要な(絶大な影響力を持つに至った)プレイヤーにのし上った外国人投資家による駆け引きに突き動かされたようにも見えます。

ところで,経済学には「外部性」という考え方があり,外部性とは,ある経済主体の行動が他の経済主体に影響(外部効果)を及ぼすことを意味します。講学上,外部性には,市場を通じて影響を及ぼすものと市場を通じないで影響を及ぼすものがあると分類されるわけですが,他人に悪影響を及ぼすことを気にかけないような傍若無人ぶりが度を越せば,これを規制し罰則を課すというのが定石のようです。投機マネーの動向が市場を通じてのものと見るかどうかあまりカテゴリックな議論はしても実利がないのであって,既に実質的に経済主体化している外国人投資家が及ぼす影響(外部効果)が,世界規模で,かつ,実体経済に及んでいる実情を無視できない以上,今後,その外部効果をコントロールするために規制や罰則が議論される時期が来ることになります。

「持続可能性」という言葉が登場して久しいわけですが,現在のような危機に直面するにつけ,グローバル化された新しい経済の枠組みの中で,実質的に経済主体化した外国人投資家との共存がいかなる形で目指されるべきなのでしょうか。少なくともここ数年のだぶついた投機マネーの価値観は仁義なき利益追求にあり,共存の形をイメージすることは決して容易ではないかもしれません。しかし,今回の危機を契機として,私たちの生活が文字どおり持続可能な社会を実感できるような方向で,世界的な規模で見識ある議論が,単なる対処療法だけにとどまることなく根本的な課題に言及される形で展開されることを願っています。

2008/10/26(Sun) 17:20:24 

経済なお正月と秋の焼きトウモロコシ

2008年もよろしくお願いいたします。申し訳ないことに…ホームページは今年もマイペースになりそうです。

さて,新年の東京は,三が日以降もしばらく穏やかな天気が続きました。しかし,経済の方は,天候とは裏腹に,1月4日早々に原油高騰に象徴される資源高・円高(ドル安)・株安の波が同時に押し寄せ,年初から大波乱のスタートになったようです。
今回は,昨年来から関心のあった経済について,素人なりに書いてみました。

昨年11月に横浜の小学校で年明けに給食を2回分削減する方針だというニュースがありました(その後の関係者の努力によって削減は回避できたそうです)。また,昨年からのガソリンや今年1月出荷分からのカップヌードルの値上げなど,物価の上昇は既にじわりと身近なところで現実化しています。これらの物価上昇の原因は,資源高つまり原油高騰に伴う食材の値上りによるものでした。
また,円高は,海外の旅行先で買い物をするにはよいのですが,円高不況という言葉があるように輸出産業中心の日本経済にとっては貿易収支で全体としては為替差損が大きくなり,輸出産業に関わる中心的な企業は円高による圧迫を受けますから,日本株の下落や企業のコスト削減によって労働収入や消費者の購買意欲を低下させるなどの景気低迷の要因に繋がります。1月15日の夕刊によれば,為替は前日の海外市場で円買いドル売りが進んだため,15日の東京為替市場の円相場は一時107円台の円高になり,円高が進んだことで輸出関連銘柄の株式が売られ,15日の東京株式市場では日経平均株価が一時,2005年11月以来2年2か月ぶりに1万4000円を割りました。東証一部全体で8割以上の株式が値を下げたようです。昨年しばしば話題になったのは円キャリートレード(日本が国際的に見て低金利であることを利用し円で資金を借入れた後,その円を売って利回りの良い外国通貨建ての株式等を購入する方法)でした。円での借金が継続したまま円高傾向で推移すれば,将来の為替差損が生ずる危険を回避するために,投資家が円キャリートレードの巻き戻し(取引解消のための円の買戻し)をすることが予想され,円高が一層加速する懸念があります。
資源高・円高(ドル安)・株安がこのまま連鎖的に進む可能性があり,日本経済そして私たちの生活に目に見えて不利益が及ぶことが危惧されます。

しかし,そもそもなぜそのような原油高騰や円高(ドル安)を招いてしまったのでしょうか。決して日本国内で原油の需要が急増したから原油価格が上昇したというわけではありません。2004年以降の中国やインドなどの新興国における需要増が原因であるという見方もありますが,国際的な原油取引の指標となるWTI先物価格はそれでも1バレル50ドルを突破した程度でした。2006年以降の原油の高騰は,ファンドマネーなどの世界を駆け巡る巨額の投機資金がサブプライムローン問題などに揺れる米国の景気の先行き不透明感からドル離れを起こし,米国の株式市場から資金を引き上げて,金融商品化した原油市場にシフトしたことが原因だという見方があります。2008年初頭にはいよいよ1バレル100ドルのレベルに突入し,しかも現に米国の株価は下落しています。1/12の夕刊にはNY株が終値246ドル安で,200ドル超下落は今年に入って既に4度目だと報じられました。要するに,資源の高騰は,米国の景気の先行き不透明感からドル離れが進み,その資金が米国の株式市場から原油市場に流れて海外の原油市場の動向に影響を与えた結果であるといわれています。
また,円高ドル安といっても日本や米国は変動相場制を基本にしていますから,決して政府が外国為替市場に強力に干渉したために円高になったというわけではありません。これも海外の金融や証券の市場の動向に影響されたものです。ここでも米国の景気の先行き不透明感からドル離れによってドル安を招いたことから相対的に円高になっている傾向が見られるようです。ちなみに,昨年11月,カナダドルが対米ドルで1800年代後半以来の歴史的高値を更新したという報道がありました。カナダの雇用情勢が良好であることと原油の高騰が原因だといわれています。ご存知のとおり,カナダは世界有数の産油国です。景気低迷が懸念される米国と比較して,明暗が分かれた格好になりました。カップヌードルを以前よりお金を出して買わなければならなくなったのは,米国経済の失速と投機マネーの行方が連動的な影響を私たちの家計に及ぼした結果だということになります。

このように見てくると,経済のグローバル化は既に昨年来から確実に新局面を迎えているように思えてなりません。たとえ海の向こうのことであっても,取引関係の深い米国の景気動向はもちろんユーロ圏,中東,新興国(ブラジル,ロシア,インド,中国のBRICsほか)や途上国を含めた世界的規模における経済や景気の動向と不安定要因(中東における地政学的リスクやベネズエラ・ボリビアといった中南米に広がる反米ネットワークと資源ナショナリズムの高揚などもそうです。現在は,米国自体がサブプライムローン問題に伴う景気の懸念を抱えてしまい,基軸通貨としてのドルへの信頼が揺らぎ,グローバル経済の中に占める地位や自力を相対的に低下させていること自体が不安定要因になっています。)が,現状では主に米国経済からの影響を通じてですが,日本の実体経済そして私たちの家計に具体的な影響を確実に及ぼしてきていることが目に見えて実感できるような時代になっているということです。

このような新局面を迎え,日本は原油や穀物といった資源の自給率が世界的にみて著しく乏しい実情を踏まえて一体どのように対処していったらよいか,問題状況の分析とこれに対応する的確なビジョンはあるのでしょうか。世界銀行が1月8日に発表した2008年の世界経済展望では,日本の成長率見通しが1.8%の下方修正になりました。日本経済の先行きに不透明感が増している状況が改めて浮き彫りになった格好であり,政府としても難しいかじ取りが続くと思いますが,新局面を迎えているグローバル経済への適合性や競争力確保の必要性という観点から洗い直した先見性のある論議が(投資家向けではなく)生活者である有権者に対してもっと開かれた形でなされてしかるべきではないかと思います。
私は株もやりませんし,株価がどうだとか中国やインドでは…などといわれても生活や仕事に直接関係もないし,なんといっても経済というのはとっつきにくく感じられ,以前はあまり興味もわきませんでした。実際に自分が何をできるのかもわかりません。しかし,日本がグローバル経済の新局面を「状況」として受動的にしか受け取れていないとすれば,アジアや世界の経済の中で日本はいつまでも後手に回り続け,いつしか国際経済の狭間に漂うような,ローカルな地位や市場に甘んじなければならなくなる可能性がないわけではありません。
リカードという経済学者は「比較優位」の理論を展開し,現在の国際貿易や取引の基本的な基盤をなしています。確かに市場の自由で自律的な取引にゆだねるという自由経済の基本的な前提は今後も確保される必要があります。しかし,現在のグローバル経済には,日本を含めたかつての工業先進国中心の資本主義経済における市場に参加していたプレイヤーとは基軸の異なる強力なプレイヤーが続々と参加しています。いまやプレイヤー同士も決して同質的ではありませんし,イランやベネズエラの例を挙げるまでもなく敵対的要素があることを隠そうともしません。「比較優位」の理論が想定するようなそれぞれの国が得意・不得意のうち得意分野の産業に集中し続けることで互いの繁栄や成功を収められるといえるには,その前提として相互の協調・信頼関係の構築が必須ですが,残念ながらそれにはまだ時間がかかりそうです。「比較優位」理論は,グローバル経済の新局面に至って,かえって幻想的要素があることを否定できない印象を帯びてしまったように思います。
経済理論は理論としてそのような理論的基礎の上に立ちつつも,私たちの生活者の側に立って世界経済の新局面を見渡し,問題状況の分析とこれに対応する的確なビジョンが,理念や精神性をもって展開されたら…そういう経済の専門家が多くいてくれたら,テレビにもたくさん出演してほしいしと思うのは私だけでしょうか。

もともと資本主義経済のシステムは,利益のために人間の理性と無関係に飽くなき欲求を増長し続ける性質があります。その気になれば原油や資源も平気で投機の対象としたり戦略商品化したりする術もあります。経済の常識から外れるかどうかはわかりませんが,率直にいえば,そもそも原油のような資源を投機や戦略商品化しないでほしいと思います。

また,米国の景気低迷にしても,その経過に問題があったように思います。そもそもサブプライムローンは信用力が低い生活者個人向け(借り手である個人の所得や過去の返済履歴に照らして信用力スコアが高いのがプライム層であるのに対し,信用力スコアで下位に位置する“サブ”プライム層向けという意味)の住宅ローンですが,最初の3年間程度までは返済金利の負担を少なく設定している(優遇期間の固定金利)ためローンは組みやすいものの,以後の返済金利がぐっと上昇する(市場の変動金利+3〜6%程度が一般的なようです)ので返済が追い付かなくなるリスクを内包した仕組みでした。決して米国で古くから一般的に普及していた形態のローンではありませんが,2003年ころからその利用率が右肩上がりに上昇しました。しかし,まずそのようなローンの仕組み自体に無理があると思うのが正常なものの見方のように思います。それでも不動産価格が上昇していけば不動産を担保に有利なローンを組み替えて返済が可能だと思われていたようですし,折しも米国では2001年初めまでにITバブルがはじけ,9月には同時多発テロが発生するなどの情勢から金融緩和政策が続き,2002年以降の住宅バブルによる住宅価格の上昇を招いていました。しかし,昨年の2007年以降になると住宅バブルが崩壊し,金利が上昇したサブプライムローンの延滞が次々に顕在化していくわけです。ITバブルの次は住宅バブルといったようにバブルが崩壊したら金融緩和によって次のバブルを作って景気を引き上げ,次のバブルが崩壊したらまた次のバブルを作るというのが意図的なのかどうかはわかりませんが,サブプライムローンが住宅バブルの牽引力になったことで土地(不動産)という一種の資源が投機対象になったこと,しかもサブプライム層という消費者を犠牲ないし踏み台にしてバブルを創設してしまったこと,しかもサブライムローンを証券化の技術によって新たな投機の対象にしたこと,これらのことは少なくともセットで考えれば行き過ぎなのであって原油のような資源を投機や戦略商品化することと同じように問題があったのではないでしょうか。昨年2月に中国(上海)の株価指数が一時急落するという現象がありましたが,前月の1月には米耐久財受注が市場予想を下回り,中国株下落の直前にはFRB前議長のアラン・グリーンスパンが年内に米国の景気が後退する可能性を既に示唆していました。その背景にはサブプライムローン問題があったといわれています。2月の中国株急落と時間を置くことなく米国株が下落し,世界同時株安になりました。いったんは早期持ち直し傾向も見られ,金利や株価も持ち直し傾向を示しましたが(この時点での金利上昇が住宅市場を更に冷え込ませ,ヘッジファンドの破綻を招いたという評論もあります),6月以降,サブプライム問題が再燃し,この問題がたいへん根深いものであることが次第に確認されていく格好になりました。つまり,6月には米大手証券会社傘下のヘッジファンド(ハイリスク・ハイリターンの投機的運用をします)2社がサブプライムローン関連の債務担保証券=CDOへの投資による損失を抱えて破綻状態になり,7月になると大手格付機関がサブプライム関連証券=MBSの大量格下げに転じたことを受けて,昨年後半から金融機関の損失拡大懸念と株式市場の信用収縮懸念が拡がり,株価下落要因に連動していく様相を呈するようになりました。しかも,サブプライムローン問題の影響は,8月以降,欧州ユーロ圏や英国の金融市場にも大きく波及していることが明らかになりました。年を越えた現在もいまだ事態の沈静化には至っておらず,今年1月11日の朝刊に米国の金融最大手シティグループ・証券大手メリルリンチが昨年10月から12月までの第4四半期も7月から9月までの第3四半期に加えて最大で両社合計250億ドルの追加損失を計上しそうだと報道されていました。今週には正式な決算発表が予定されています。いずれ判明すると思いますが,日本を含めた世界的規模でサブプライムローン関連により発生する損失額や経済的影響は最終的に一体「どんだけ」で「いかほど」なのでしょうか。そして,そのツケは結局どこに回るのでしょうか。

経済学では経済主体の基本を「家計」「企業」「政府」の3主体でとらえます。困難な経済情勢にある時こそ「家計」が踏み台にされたりツケを払わされることがないよう私たちは意識的に注意しなければなりませんね。
おいしいマグロはなかなか口にできなくなりました。今年の秋においしい焼きトウモロコシはせめて安心して食べられるのでしょうか。

2008/01/16(Wed) 10:07:28 

新メンバーを迎えています

今月9月から新任弁護士の小西麻美(こにし まみ)君を当事務所に迎えています。当事務所も新設後4年目に入り,弁護士が3人になりました。
小西弁護士は,大学を卒業後,法律事務所に秘書として勤務していましたが,その後弁護士を志して猛勉強し,見事に司法試験に合格を果たしたという経歴の持ち主です。その逸材ぶりもさることながら,いままでの社会経験が今後の弁護士としての活動にいかんなく発揮されることでしょう。

私は,弁護士の重要な資質のひとつに,人や事件に対する熱情(あえていえば情熱ではなく熱情です。このことは,私が初めて弁護士としてスタートを切った事務所で教えられたことでもあります。)が挙げられると思っています。私自身,早いもので弁護士としてすでに17年目に入っていますが,人を護ることがいかに難しいことか思い悩み,また思い知らされながらも,大いなる熱情をもって,それを意味ある結果に結実させていけるような,そういう弁護士になりたい,ならなければならないと,最近よく心に言い聞かせている自分に気づきます。
新任の弁護士と一緒に仕事をすることは,私にとって初心を思い起こすよい機会を与えてくれます。新たな決意をもって,事務所一同,力を合わせて業務の充実を期してまいりますので,皆様には今後ともご指導のほどよろしくお願いいたします。



2007/09/15(Sat) 22:04:03 

本年もよろしくお願いします。

2007年という新しい1年がスタートしました。今年も自己満足的&マイペースなHPでまいります(キッパリで・・・すみません)。
さて,今年は十二支でいうと亥(猪)。猪といえば…猪突猛進でしょう,ということで,「猪突猛進で…」という年賀状がどのくらいあるかなと密かに思ってましたが,やはりというべきか,猪突猛進スタイルの年賀状はほとんど見当たりませんでした。皆さんはいかがでしたか。目をつぶって突進するがごとき単純にして大胆な行動は憚れる時代という,もしくは何が起きるかわからないという不安を感じつつ警戒が必要な時代であるという,そんな感覚が多少なりともあるのでしょうか。もっとも,そういう時代にきちんと目を見開きながら(目をつぶって突進するのでなく),前を(時には前も後ろも上下左右も)しっかりと見据えつつ自分を深めて着実に成長していかねばという真摯な姿勢があるからなのかも知れません。
少年時代に待ち望んでいた21世紀は,地球規模や国際規模で解決していかねばならない問題が山積している(ここ約5年という単位では,むしろ年々山積していく)時代でした。子供のころに「君たちはどう生きるか」というタイトルの図書を読んだことがありませんか。今,その本が手元にあるわけではなく,何が書いてあったのかが思い出せるわけではありませんが,少年の私にとっては道徳のレベルでしかなかったと思いますし,当時はそれでよかったのだとも思います。しかし,社会に出て,大人になった現在,“あなたたちはどう生きるか”と問われて,どれだけの人がどこまで(ごまかすことなく)答えることができるでしょうか。
年初にあたり,本年も,普段の仕事に責任をもって専心していくことは当然として,自分の生き方を検証しつつ深めていくためのsomethingがなければと思っています。

昨年は,国際問題に疎い私ですらも,中東情勢からイラン・北朝鮮核問題などに特に関心を持ちながら過ごしていました。私は日本にしても世界にしてもあくまでもまだまだ過渡的であり過程的な時代という基本的な認識を持っていますが,皆さんはいかがですか。第三の波(1980アルビン・トフラー)を読まれた方は多いと思います。日本も,科学技術の進展,コンピューター(インターネット)を中心としたIT社会,情報社会の波に晒されているわけですが,しかし,「欧米か」というギャグがはやったように(あまり関係ないか?),日本は欧でも米でもないわけであって,しっくりくる精神風土としては多分に農耕民族的であり,また実体経済(モノの生産と消費の経済)を中心にした戦後の産業社会の基盤は決して失われることなく長らえています。つまり,いわば第一の波から第三の波までを含めて,未だ重畳的な3つの波水に浸っているようにも思います(良し悪しではなく)。それでもまだ日本は,経済先行型の企業中心の社会でもあるため,経済合理性という観点から世界標準やグローバリズムを受入れる素質が十分にあるわけで,欧米的な座標軸での理解や予測に立てることが可能な範囲内にあるでしょう。しかし他方,世界に目を転じてみれば,9.11以降,イラク戦争を経て,更に昨年はイスラム世界を意識せざるを得ないニュースが幾つも見られたわけで,冷戦後の世界における文明の衝突(1996サミュエル・ハンチントン)に垣間見られたようなイスラム世界という欧米や日本とは異なった世界観や精神風土に支えられた座標軸は確かに厳然と存在していました。世界が丸ごと科学技術や企業社会によるリードを前提にしているというわけではありません。原理主義という考え方は,宗教一般のひとつの傾向として存在し,またテロを特定の民族や宗教と短絡的に結びつけることはできません。私たちの聞くイスラム世界は往々にして欧米経由であることも事実です。ともあれ,異なった座標軸の存在が対峙性を帯びて存在することは紛れもない現実でした。ある統計によれば2000年時点でイスラム教徒人口は12億7600余であり,世界人口に占める割合は約21%であり,2025年には約25%まで伸長する,つまり4人に1人の割合になるとのことです。2025年にはキリスト教徒の割合よりもイスラム教徒の割合が数的に優位に逆転するとの統計もあり,あくまでも予測とはいえ,これが21世紀の四半世紀が経過した時点で待っている現実です。実際には幾重にも複雑な異なる座標軸のなかで,様々に異なり変化する波に晒されながら,どのように自己を認識し,舵を取っていくのか,これは国家や社会としてはもちろん,自分という生活者個人のレベルにおいても日々の仕事や生活のなかで“どう生きるか”という大切な課題であろうと思います。

厳しい競争や闘争に晒されている日本社会のなかにあって,あくまでプラスアルファとしか捉えきれていない私の限界もありますが,それでもプラスアルファとしてでも,somethingを考えながら生活していくことがまずは大事なのかなと甘えつつ。

2007/01/11(Thu) 13:38:05 

新メンバーを迎えました

さて,当事務所では先月司法修習を終えた新任弁護士のM門俊也(はまかど・としや)君を当事務所に迎えています。スタッフ一同,決意も新たに力を合わせて頑張ってまいりますので,くれぐれも宜しくお願い申し上げます。

ところで,ご存知の方も多いと思いますが,司法試験に合格すると,司法修習を経て,最終的には司法研修所の卒業試験(俗にいう“2回試験”です。私の場合,もう15年ほども前のことになりますが,当時,司法試験を1回目と見立てて卒業試験を2回試験と呼ぶのだと,聞いた記憶があります)に合格しなければ,法曹つまり弁護士・裁判官・検察官として実務に就くことができません。
先月9月末のニュースでは,卒業試験に合格できなかった人の人数が,1493人の受験者中107人に上り,前年の31人から3倍以上増加したなどと報じられていました。司法修習生が,以前に比べて倍以上に増えているとはいえ,私のころは卒業試験で落第した人は殆ど皆無であり,合格して当然という感があったのですが(数日に及ぶハードな試験であり,もちろん真面目に受けないと“当然の合格”は果たせません)。今後,司法修習生の数は更に増加していくことが予定されているため,卒業試験に合格を果たすことは,当然の合格というより,名誉ある合格という感じになるのでしょうか。
今般,15年ほど前に私を新任弁護士として迎え入れていただいた先生に,今回M門君を迎えることになったことのご挨拶文をお送りしたところ,もったいなくも,早速お電話を頂戴しました。しばし電話でお話をさせていただきながら,私自身,自分が弁護士になった当時の初心を改めて思い起こすことができた気がして,胸が熱くなりました。新たな気概で頑張ろうと心から思いました。自分が10年先,20年先に,振り返った時,弁護士という仕事を通じて,人としてどう生き,人や社会に有意な仕事や役割を幾分でも果たせたのかどうか,名誉ある合格を実感できる自分でありたいと思いながら,今日も仕事に励みます。


2006/10/05(Thu) 22:25:55 

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