+弁護士便り+

新しいメンバーを迎えています。

桜が終わりはなみずきがきれいに咲いています。
事務所に新メンバーとして福盛章子(ふくもりあきこ)弁護士が加わり,年初から元気に活躍しています。

“道そのものに尋ね,道そのものを試す”という言葉があります。本歌どりのように聞こえてしまうかもしれませんが,私自身が好きな言葉であり,福盛弁護士に贈りました。弁護士としての道を歩み始めるにあたり,歩み続けながら自分で考え尽くしていくことが大事なことですので,これからの新しい時代に信念と理想を創造しゆく有意な活躍をと,期待します。

私のほうも引き続き大学での企業法演習の講義が4月から始まりました。更に研鑽を重ね,学生に喜んでもらえるよう頑張ります。




2014/04/24(Thu) 18:16:23 

中学生と社会体験

今の中学生のカリキュラムには「社会体験」が組み込まれているようです。というわけで,先日,中学生が当事務所にやってきました。司法修習生や法科大学院生を受け入れてはきましたが,中学生は初めてのことです。
 引き受ける側では何ができるかと考えます。彼らが普段の生活ではなかなか味わえないことをとか,いろいろ考えます。短い期間ではありましたが,普段目にすることのない光景や場面で,また普段交わることのない大人の中で,彼らのまなざしには何がどう映り,感じたのか,結論を急かすことなく,彼らの成長を見守りたいと思いました。
「感染動機」は知識を血肉化させる
宮台真司(14歳からの社会学)を読みながら,私として及ばずながら微力ながらも,何か彼らの内発性に刺激を与えたい,学校のテストで慣れた正解・不正解という思考とは違った何かを与えたい,そんな気持ちで彼らに接する機会になりました。
彼らとの対話は新鮮で驚きや感動があり,勉強になったのは私の方でした。こちらが何かを教えるとか,正解が何かを伝えることは極力避けながら,対話を楽しみました。
最も遠い未来を,あなたの今日の原因としなければならぬ
好きな言葉や大切にしている言葉を教えてくださいと,彼らの質問を受けて応えました。そのまま彼らに送った言葉です。「遠い未来が今日の原因になるって,何か不思議な感じがしない?」「意味はすぐにわからなくていいから,少し考えてみてね。」と添えました。ニーチェという人の言葉なんだということだけは伝えました。それ以上に説明はしませんでした。そう,ツァラトゥストラです。私は,若き彼らに,超人と遠人愛をひそかに伝えるというたくらみに及んだことになります。
「我輩は猫である」の中に「一大巨漢がぬっと立ち上がった。・・・浴場全体がこの男一人になったと思われる程である。超人だ。」という表現があります。映画テルマエロマエでの中で銭湯でお湯の中からザバッと立ち上がった阿部寛のシーン(平たい顔族に囲まれるシーン)を私はどうしても思い出してしまうのですが(映画製作者の意図は違うと思います,念のため。),漱石が超人の意味を理解していないはずがなく,かえっておもしろいと思う箇所です。もちろん,彼らにフィジカル的にそうなってもらいたいと考えたわけではありません。この段落は,寄り道というか,脱線がすぎましたね・・・。
さて,「社会体験」の期間中,法教育センターの中嶋先生,公証人の先生,また関係する事務局の皆様には,本当に親切に,そして温かく見守っていただきました。彼らにとってことのほか貴重な体験となりました。この場を借りて心から御礼申し上げます。
「社会体験」を無事に終え,彼らからお礼の手紙をもらいました。一生懸命書いてくれたんだなと,丁寧に時間をかけて書いたであろう文字を見ただけで,それはすぐに理解できました。これからは彼らとの心の交流とあの時の笑顔が私の大きな支えになりそうです。彼らが無事故で大きく成長していかれることを心から祈りつつ。

2013/06/04(Tue) 14:44:59 

倫理という問題

2012年を迎え,季節は3月となりました。卒業,進学の便りも聞こえてくる季節です。当事務所一同,各人が一層精進し,職務に専念する中で,チームとしての力を結集し,皆様の期待にお応えしてまいります。

さて,昨年の3.11東日本大震災から間もなく1年になろうとしています。昨日の3月4日,津波の被害を受けた石巻市の大川小学校で一周忌法要が営まれたとの報道がありました。同小学校では全校児童の約7割が死亡・行方不明(70人死亡,4人行方不明)となっています。誰もが想像していなかった惨事となりました。子どもたちがどれほど怖い思いをし,水や土砂に揉まれ,吸い込み,どんなに苦しい思いで亡くなったか,幼い命と未来とが成す術もなく奪われた痛ましさ,子を失った家族・遺族の悲痛は,私たち(東京にあって震災による身命に及ぶ打撃を免れた私たち)に,圧倒してあまりある過酷な現実として迫ります。軽々に表現できることではありません。
亡くなった子どもたち,当の家族・遺族という,あえていえばそのような「他者」の存在は,特にそれが報道などで顔,姿,言葉をもって映像として立ち上がるとき,私たちに何を呼び覚まし,もたらすのでしょうか。そこには,「他者」を目の当たりにした私たちの直観的な心情に加え,少なくとも「他者」に対する私たちの責任という「倫理」の問題(他者のためにどのように自分が生きるのかという問題)を提起することになります(「他者」との倫理的な関わりを考えた先哲のひとりがエマニュエル・レヴィナスでした。彼自身,第二次大戦中,ドイツの捕虜となり,後に家族・親族の多くがユダヤ人大量虐殺の犠牲になったことを目の当たりにするという当事者としての過酷な体験を持ちます。)。単に歴史的な出来事とか,災害対策のための用材に消化しきることがないよう,心がけたいと願うものです。

また,東日本大震災に関しては,東電原発事故による放射線被害という問題があります。私も,書店に並んでいる「プロメテウスの罠」朝日新聞特別報道部著を改めて手に取った1人です。放射線被害が深刻化していく経過に何があったのか,ある程度時間を経ることでようやく姿を現す事実や経過もあるかと思います。そのような事実や経過も,単に,歴史化するのでなく,また政治的討論や批評の素材だけにとどめることなく,今後も注意して見ていきたいと思います。それは,おそらく世代間倫理(今の世代の人間には未来の人間に対する義務があるかという問題。現代倫理の1課題であることは,従前から論じられています。),とりわけ放射線被害という資源・環境に関わる問題としての世代間倫理に連関しています。
ちなみに,世代間倫理という点は,その意味を多少敷衍することになりますが,例えば,昨年来のギリシャ危機(国として債務が正常に支払できないデフォルト状態にあると評価されています。)に伴う社会・経済の混乱が,若年世代に新たな貧困層≠生み,すさまじい失業率につながっているという報道などを見ていて,私の中で思い起こさずにはいられない問題のひとつでした。現在の閉塞的な国内の情勢に目を転じても,今後,様々な局面で,議論され得る観点のひとつだと思います。

少々長くなりました。最後になりますが,倫理の問題は,いずれも個人の自由な志向的課題というのが本質だと思います。しかし,自己・他者という文脈は,自己が,他者から見れば,他者に転じ,つまり利用対象となり得るという面があります。個人の自由に本質を持つ倫理という問題を政治利用しようとか統制的に使おうという人たちが目立つことのない日本であり社会であってほしいですね。

2012/03/05(Mon) 17:25:30 

新メンバーを迎えました

さて,2011年がスタートしています。

事務所に昨年末より新メンバーとして嶋崎義久(しまざきよしひさ)弁護士が加わりました。力あふれる若き青年です。
Festina lente≠ニいう言葉があります。ラテン語なのだそうですが,直訳すると急ぎなさい/ゆっくりと≠ニいう意味になります。これから弁護士としてスタートしていくわけですが,背伸びしたり,焦ったりする必要はありません。しかし,決して無為に時を過ごすことなく,人と社会に有意な役割を果たしていくとの気持ちの確かさは大事だと思います。

今後,当事務所の先輩にあたる小西麻美弁護士,事務局一同と力を合わせ,職務に専心してくれることと期待しています。

私自身も改めて初心を思い起こし,新人に負けない気概で一層の精進を期してまいります。
皆様には,本年1年よろしくお願いいたします。

2011/01/08(Sat) 17:57:48 

Best Effort

新年を迎え,皆様のご多幸を心よりお祈り申し上げます。

さて,昨年読んだインターネット関係の本に「ベストエフォート」という印象深い言葉がありました。エフォート(Effort)は努力という意味ですから,訳せば「できる限りの努力」とか「最善の努力」ということになります。

インターネットは私たちの現在の日常にとってすでに欠かせない存在です。それだけ普及・定着し,システムとして(相応の?一応の?安定性があるものとして)信頼を得ているといってよいと思います。
しかし,当初インターネットが使われ始めた頃は決してそうではありませんでした。「ベストエフォート」というのは,インターネットそのものが途切れてしまわないように維持する,つまりデータの通信やサービス自体がストップしないことを重視して,たとえ不完全な状態であっても(技術的に不足があってデータの一部が欠けてしまったとか遅すぎるなどの支障や困難が生じたとしても),ともかく止めてしまわずに送り続けてみる,できる限りの努力をするという考え方をいうのだそうです。もしも完全・完璧なものになるまで世に出さないし使わないというような発想で臨んでいたら,現在のようなインターネットの進歩と普及はなかったのかもしれません。

もちろん物事によっては止める勇気や英断が必要なこともあります。しかし,ともかく継続してみる,不完全であれば完全に近づく努力を続け最善を尽くしてみるという発想が必要な場合もあるということだと思います。
新年ですから,特に新しいことにチャレンジする際に心がけてみる価値があるように思います。

身近なこと,たとえば趣味やスポーツ,日々の健康管理,仕事上の課題の克服や新しい知見を得るための研鑽・勉強などについてはもちろんですが,もしかしたら裁判員制度に象徴されるような司法改革というような社会的システムの獲得などについても,当てはまるところがあるかもしれません。

ところで,「ベストエフォート」という言葉には,反面,責任逃れのようなニュアンスで用いられることもあるようですが(できる限りやってみますが,ダメでも責任はとりません≠ニいうような意味),自分だけのことならいざしらず,きちんと身に付けて他人のために役立てる覚悟をもってするならば,主観的な(甘い)努力に終わらせてはならないですね。私自身はといえば,今年はしっかり勉強し習得したい分野が幾つかありますので仕事に還元できるように頑張るつもりでいます(ちなみに「禁煙」だけはどうも努力する対象から外れてしまいます。ベストな努力でなく単なる努力的な感じの気分程度か=あらかじめ弁解)。

2011/01/01(Sat) 14:35:27 

20周年を迎えた仲間

先週末に司法研修所卒業20周年の集まりが京都でありました。

わかりやすくいうと,司法試験に合格した後,同期合格のメンバーが司法研修所で修習をするわけです(司法研修所を無事に卒業すると,それぞれ裁判官・検察官・弁護士になります。)。卒業20周年を迎えて集った同窓会のようなものですね。受付でもらった「8組 外立憲和」というネームプレートが気恥ずかしくもあり,同窓会ムードを演出します。
同時期に修習生活を共にしながら,普段は会う機会の少ない裁判官・検察官,そして地方で仕事をしている同期メンバーと,久しぶりに会うことができました。食事をし,お酒を飲み,昔話がはずんで・・・1時間・2時間と時間が経つごとに修習時代の顔つきに戻ってく気がするのが不思議です。

また頑張ろう−って気になります。こういうのは本当に理屈じゃないですね。みんな忙しい中集まるわけですが,そういう気持ちになることを期待して集まっているところもあると思います。同期の仲間と修習時代の教官に心から感謝,改めて感謝です。
深夜バスで翌早朝には東京に戻ってきました。ハードな帰京となりました。それでもみんなに会えてよかった。

2010/08/27(Fri) 03:14:35 

いよいよ2010年

2010年を迎えています。本年も事務所一同,元気に頑張ってまいります。

中国の古い言葉に,「学びて然る後に足らざるを知り,教えて然る後に困(くる)しむを知る」(礼記)というのがあります。
学んでみて自分がいかに知らないかということを知り,また人に教えてみて更に未熟さを思い知るといった意味になります。

まだまだ人に教えるといった立場にはないのですが,一昨年から事務所に司法修習生を実務修習として受け入れたり,昨年から大学の法学部で企業法演習という課目で学生に会社法を教える機会を得ました。みずみずしい求道の姿勢の大切さを改めて認識し,見習おうと思いましたし,人に物事を教えようとするのであればまずは自らが時間と労力をみっちりかけて勉強し準備しなければ有意な役割を果たせないということも改めて実感しました。
「学ぶ」というのは,学問という意味に限定されるべきものではなく,本年,改めて業務に専心し,弁護士として,人と社会のために有意な働きができるよう決意してまいります。「困(くる)しむを知る」後に,それが再び次の責任ある「学び」に繋げていけるように。

2010/01/03(Sun) 17:39:29 

巣立ちゆく濱門弁護士に期待

あっという間に12月…ということですね。。
さて,この12月に,これまで勤務弁護士として業務にあたってきた濱門俊也弁護士がいよいよ独立を果たし,当事務所を巣立っていくことになりました。
彼は,弁護士1年生として当事務所に入所して以来まる3年,さまざまな事件に熱心に取り組んできました。もとより,私自身が未熟ですので,どれだけの経験・技術を彼に伝え,指導することができたか,はなはだ心もとないかぎりではありますが,人を護るという熱情の深さと,結果責任を果たすべき職責の重さを忘れることなく,そして常々勉強を怠らず,新天地で大いに活躍されんことを期待してやみません。
私も改めて弁護士としての初心に立ち返り,日々の職務に全力で取り組んでまいりたいと決意しています。

2009/12/10(Thu) 02:30:15 

新年の抱負と自分の中のうし

新しい年を迎えております。
当事務所としては,平成16年4月の新設後,今春には5年が過ぎ,6年目に入ることになります。私個人としても,早いもので,弁護士として19年目に入ります。

今年は,改めて初心を忘れず,忙しい中にも,精神性を高め,深めていけるよう,努力を怠らない年にしていきたいと決意しています。もちろん,時間を見つけて精神修行のために山にこもるというようなことを考えているわけではありません。日々の仕事を通じて改めて多くを「学ぶ」1年にということを考えています。
特に昨年来からの不景気を反映して,今後難しい事件も多く予想されます。こういう時こそ,根気強く事件に取り組み,法的知識の研鑽はもちろんのこと,人の気持ち,人の弱さと強さを,改めて理解し「学ぶ」という気持ちをもって,仕事に打ち込む時だと思います。

ところで,今年は牛(丑)どしですね。いまどきでいう“深イイ話”というわけではありませんが,牛は人と古くから生活の中で関わりがあるからか,牛にまつわる故事・ことわざや譬え・教えは多いようです。次の2つはいずれも私の今年の決意の一端です。
・公明儀の琴は,弁護士にとって,日々の事件の中でおそらく既に絶えず弾かれているのだと思います。物事に無関係無関心を決め込み愚鈍に陥ることがなきよう,敏感に吸収し学ぶ自分でありたいと思います。
・市(まち)に入って…にはほど遠く,牧牛・得牛はおろか,まだまだ見牛にようやく至らんとする未熟者ですが,あるべき弁護士像を違和感なく確たるものとできるよう,牛が消えるようになるまで,生涯精進し続ける自分でありたいと心がけてまいります。

多くの人が生活に不安を抱えながらのスタートとなった新年ですが,当事務所一同,精一杯職務に専心してまいります。本年もよろしくお願い申し上げます。

2009/01/06(Tue) 02:01:36 

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