首相,国会議員や閣僚の皆さんなど,TVを通じてノーネクタイの姿が定着してきました。通勤の電車の中などでもノーネクタイの人がいますよね。私も通勤はノーネクタイが多くなりました。
確かに,夏の軽装化について,「省エネルック」と比べると,なかなかカッコいいネーミングになりましたネ。
でも,ネーミングはとりあえず暫定的に考えてないと,「夏」というシーズンに限定されてしまうし,「ビジネス」シーンに限定されがちだし,そして「軽装」という服装の問題に限定されがちなこと・・・もともとの趣旨や発端からすればそれでよいのかも知れませんけれど,少し残念というか,もったいないというか・・・この機会に,クールビズについてもっと膨らませて,皆で考えてもよいことかなと思ってます。
ときどき,要するにTPOを考えて柔軟に対応すれば良いことなんじゃない・・・
という意見なども聞いたりして,それはそのとおりなのですが。。でもそれ
だけなのかな?
服装文化への挑戦・・ウーンそれもそうかもしれないけど。
ネクタイ業界はどうするって・・うむうむ。
そういう意味では「服装」の問題などに押し込められた中では少々議論しず
らいですよね。
唐突かも知れませんけれど,ひとつには,自分がどうするか,したいかという問題ではなく,人に対する配慮や気遣いの問題,つきつめていくと,人に対する礼の問題でとらえることができるとよいなあと思っています。しかし,それも,よく言われるように,世間的に見て「非礼」にあたるかどうかではなくて,自分が本当に相手に対して配慮しているか気遣いや「礼を尽くす気持ち」があるかどうか,要するに自分の人に対する,主観的な,外装面ではなく,そういう主体的な「礼」の気持ちを見つめ直すことができるとよいなということです。
最近,私も上着とか,ネクタイを失礼してということが時々あります・・
でも,一言でいうと不安になったんですね。で,何が不安だったのかというと,今までは上着を着ていれば失礼はない,ネクタイしているから大丈夫,そういう相手との信頼や信用の関係について,そのようなものを着用していれば問題ナシという発想がまずはあった気がするわけです。楽(ラク)していたというか,保険をかけていたというか,そういう服装で対応しているのだから人から何か言われることはないという感じだった気がします。
でも,いざ上着を着用しないとか,ノーネクタイになると,ほんとにこれで大丈夫かな,相手の方に対して不快感を与えたり,いいかげんとか思われたりしないかな・・そういう不安が出てきたんですね。
人によっては何をどう着るかで悩むより,上着,ネクタイで対応すれば問題ないのだから,あとは中身に集中していけるという考え方もあるとは思います。ただ,私は要するに,上着やネクタイじゃなくて,真実,自分は相手の方に失礼にならないように,応対の言葉は大丈夫か,仕事の中身,判断は正解か,キチンとしているか,改めて自問自答するきっかけをいただけたかなってことでよい機会をいただいたと思ったわけです。
あと全然別の観点でひとつ。議員とか閣僚とか,社内的には社長とか重役とか,まずはそういう人たちがやらないとうまくいかない,普通に仕事している人は上司や目上の人に気兼ねするからということも時々聞きますよね。でも,それって・・・。少し正しくない気がする。
本当に暑い夏に外と社内を行き来して,汗かきながら現場でお客様に気遣いして頑張ってる人たちのためにこそ,軽装化は意味があることなので,涼しい個室をもらって,車も付いて,外を歩き回る必要も特にないような偉い方は別に上着やネクタイつけててもよいわけで。たぶん言いたいことは,偉い方が率先してノーネクイじゃなくて,偉い方が率先すべきだとすれば,それは現場で頑張っている仕事マンに対して軽装化してよい状況であれば,社内の上司,重役に絶対気兼ねしなくていいから,自由にやってくれっていう配慮と気遣いを,誠意をもって率先して示してもらいたいなってことですね。
やっぱり,自分がどうするというより,他人に対する精神面の大切さを改めて思い起こすことにこそクールビスの意義はある??という少しわかりずらいコメントでした。
丸の内線などで,あるいはTVで見ていて,多分エリートな偉い人たちがノーネクタイでいるのをみて,誰のためにあるのクールビズ・・・特権なの?ちょっとひがみモードになるのは私だけかなあ。ノーネクタイが許されるステイタスの象徴みたいにはしたくないですよね。
いずれにしても多様性は良いことです。本質を考えるきっかけになるので。自分が礼節をきちんと尽くしているか,改めて見つめ直した次第です。